風と竹影が過ぎ去る家

日本人は自らの住まいを荒ら屋(あばらや)と呼んで謙遜する時がある。しかし、それは卑下でも謙遜でもない。我々は心のどこかで、荒んで隙間風が抜ける空間を肯定している節があるからだ。建物と囲いの中間のような、慎ましくて儚く、無常な存在。そのような建築のあり方に人生観や自然観を重ね、快適さや開放感、豊かささえ感じるのではないか。一方、現代の建築は堅牢で高気密高断熱、定常的な温熱環境が当たり前とされている。私たちの身体もまた、そこから一歩外れれば、不快と感じるようになってしまった。荒ら屋はそんな私たちを開放し、建築を解体する存在となるかもしれない。

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敷地は南房総の海岸線に自生する細竹の林の中にあり、その涼やかな陰影の向こうに海がきらめいていた。陽光をこよなく愛す建主はいつでもどこでもビーチサンダルに短パンで生活しており、週末に浜辺でバーベキューや釣りを楽しむための基地として、海の家のような小屋を望んだ。そこで夏の浜辺に建つ簾で覆われた荒ら屋のように、ただ風と太陽が通り過ぎていくだけの慎ましい囲いを目指すことにした。

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まずは竹格子の荒ら天井を設けて、軒庇や屋内の屋根を部分的にガラスとした。これは伐採せざるを得なかった竹林の陰影を床や壁に再現することにもなる。ただし、それでは室内が温室のような環境となってしまう。そこで海側に大きな引き戸を設けて海からの涼風を取り込み、熱せられたトップライトによってその風を上昇させて山側の高窓から抜く、温度差と重力換気の原理を用いた通風計画とした。風を加速させるために、暑い季節にこそトップライト付近を暖めるという逆説。荒ら屋ならではの解決である。同様に冬は窓を閉めて頭上から暖かな日差しを取り込み、室内の空気を暖めることにした。

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そんな荒ら屋根の両端に寝室とLDKが離れて建っていて、その間のテラスには、風や潮騒が抜ける。そこに室内から家具やバスタブを引っ張り出して一日中過ごしていると、太陽や月が光陰となって床や壁を過ぎ去り、この地の竹影や海のきらめき、空の色といった刻々と変化する事象に包まれる。天井を見上げれば、室内にもかかわらず竹の隙間から空や雲が断片的に見え、空と大地の狭間に自分がいることが実感できる。簡素で豊かな、竹影の荒ら屋である。

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©Nacasa & Partners Inc.

Completion
2016.06
Principal use
Residence
Structure
Timber structure
Site area
491
Total floor area
58
Building site
Chiba
Structure design
Yamada Noriaki Structural Design Office Co.,Ltd
Contractor
Ajiro Komuten
Team
Takeshi Suzuki